fores子Pの日常遊戯箱

fores子Pの投稿お知らせはもちろん、投稿した動画,MMD,小説の裏話、日常のどうでもいいことなど気ままに書き込むページ。

「在りし記憶の抹消事」の本当の話(長文)

pixivで昨年まで投稿していました

在りし記憶の抹消事

は、諸事情……

 

いや、もう上手く物語を書けなくなってしまいました……。

あまりにも嫌だったのか、なんなのか……。

 

なので、申し訳ありませんが更新を終了させていただきます。
楽しみにしていただいた皆様には申し訳ありません。

 

途中で終了してしまい申し訳ありません。

理由としては、あまりにも長く書けないことと、
思い出すのが辛くなったことが原因と思われます。

 

先日、私が「在りし記憶の抹消事」で何が言いたかったのか、
それをPawooにて全部呟かせていただきました。
(https://pawoo.net/web/statuses/30529459)

 

そこで今回は
在りし記憶の抹消事」で何を書きたかったのか、何が辛かったのかなどを、
その呟いたものをまとめていきたいと思います。 

※かなり長文となりますので、ご了承ください。

 

 

結論から言うと、

私、fores子は約3年前、

ある中学時代の男友達にストーカーじみたことをされていました。

 

相手から朝から寝るギリギリの時間までメールを送ってきて、
私はそれを無理に合わせていました。

 

 

********************

 

 

 

それは中学3年生頃。


私は精神病を患っていた為、支援学級にいた。

そこには同じクラスで私以外に男子が2人いた。

一人は政治や農業に詳しいが"忘れやすい人"、
もう一人は作る事や世の中の事に詳しいが何かと"鬱陶しい人"。


でも、その時の私はその2人が好きだった。

3人はたまに一部の授業を支援学級で受けていた。

そんな3人に苦手な数学を教えてくれたのは、"恩師"と崇める先生だった。
"恩師"は数学の他にも人生の歩み方、世の中の事など色々教えてくれた。

他の授業の中で一番この授業が好きだった。


やがて卒業を迎える時、離れたくないと思った私は2人に連絡先を交換した。

それに気付いた"恩師"が後日、家に是非来てくれと誘いを受けた。
3人は連絡を取り合いながら"恩師"の家に行く約束をした。

でも一人はよく忘れる性格の為、
メールを送っても返事が前日まで帰ってこなかった事が多々あったり、


もう一人は「この日がいい」と指定したはずなのに急に前日になって
「この日は寝ていたい」と都合のいい事を口に出したりしたので、
常に私はイライラさせられていた。

 

 

そして当日、時間通りに"鬱陶しい人"は来るが、"忘れやすい人"は来ない。
心配してメールを送ると


「うわぁ寝てた!!」


2時間遅れ。最低。
これが1回だけならまだ許すが、
この後何回も"恩師"の家に行くが
毎回のように"忘れやすい人"は遅刻を繰り返した。


ひどい場合は


「えっ今日だったっけ??」


と とぼける始末。


また、"鬱陶しい人"に関してはよくメールをしていた。
最初は面白い話をしてくれるのでずっとメールで話していた。
しかしますますひどくなってきて毎日執拗なメールを朝から夜中まで送ってきた。


「何食べた」
「何してる」
「今度恩師の家行こうよ」
「怒んないで」
「寝ないで」
「やっぱ寝る」


うるさすぎる。


特に

「どこ行ってたの」
「今何処にいる?」

をよく送ってきたので


「今○○スーパーにいる」
「ショッピングモールだよ」
とか嘘をついてやり過ごしていたが


「○○スーパーにいるの?僕、今そこにいるよ」
「見かけないけど」
「会いたいよ」
とか言われて怖くなった。


「こいつ、ストーカーだ…」って。


でも何故かその時の私は耐えた。耐え続けた。
"恩師"だけは尊敬できて大好きだったから…

 

しかしこの事は誰にも言えなかった。

"恩師"や支援学級の先生に言ったら
2人にその事を言って嫌われるんじゃないか…って被害妄想していた。

何故か嫌なのに"嫌われたくなかった"。
今考えたら、何でだろうと思ってしまう。

また一つ、また一つと耐え続けて涙も堪えて辛く生きていた。


でもそんな辛い人生にピリオドを打つ出来事が起きた。


年が明ける前、12月の下旬頃。
いつものように"鬱陶しい人"は、いつ"恩師"の家に行くかメールで私に聞かれた。

またその時も耐えた。日時も次の年の中旬と決めて、集合場所も決めて。


でも次の日、私はその疲労からかインフルエンザにかかった。
高熱と痛みで何も考えられない状態の中で私はその時、


「行けそうにないな……まぁ別にいいか……」


ふわーっと心配しつつももう諦めていた。

「もういいや、これを理由にやめよう…」

フラフラしながらも決めた。

 

 

やがて年が明けた元旦の日。


「あけましておめでとう、〇日に恩師の家行くよね?」


"鬱陶しい人"から催促のようなのメールが来た。


「ごめん、インフルエンザにかかってん」
「ふーん」
「悪いけど2人で行ってきてね」
「わかった」


これで行ってくれるであろう……
2人が行った後ぐらいに関係をやめるメールを送ろう…


もう大丈夫、これで終わり。
そう思っていた。


しかし……

 


数日後、インフルエンザも治り、元気になった私は
本当に2人が"恩師"の家に行ったのか、少し気になってはいた。

しかし行く当日には2人からは何の連絡もなく、
"恩師"からもなかったので、
無事に行ったんだな、と思っていた。


そしたら一本の電話が私に入った。

 


「おい、あの2人来んかったぞ……?どういう事だ?」


"恩師"からだった。


私は青ざめ、同時に2人に怒りが湧いてきた。


恩師と話をした後 電話を切り、
すぐさま"鬱陶しい人"にメールではなく電話をかけた。

しかし電話が苦手な"鬱陶しい人"はすぐ電話を切った。

 

「何考えてんだコイツ…」

 

仕方なくメールで送った。

 

 

「〇日、恩師の家に行ったの??どうなの??」


間もなくして返事が返ってきた。

 


「いいや、行ってないよ。
君がいないと、行かないもん。」

 


「は?」

 


言葉で発したと同時に、
そのままメールでも打ち込んで送信していた。


「"行く"って言ったじゃん!!
"忘れやすい人"と2人で行くって!!なんで行かんかったんだよ!!」

 


「だって準備してくれなかったもん」

 


全く意味がわからない。
この人全部私のせいにしてる。


ただただ、怒りが湧いて。

 


「じゃあ、もういいよ!!
ちょっとは自分で考えること覚えたら??
どうせ私が決めたって文句言うくせに!!
もうなんなん!!
もういいです。さようなら。」

 


ただただ、殴り打ちしていた。


そのまま、受信拒否をした。

 


ちょっと強引だったが、
この辛い出来事にピリオドを打つことが出来た。


しかし"忘れやすい人"にも何も言わず関係をやめた。
そして"恩師"にまで音信不通にしてしまった。


"鬱陶しい人"に繋がる全ての人の関係を絶った。


少し申し訳なかった。

でも自分はずっとストーカーされるのがとても辛かった。

 

 

数年は自分のした事を少し悔やんだが
2年半経った今、何も思わなくなった。

 

てか、"君たち2人"のことをスポーン!!と忘れられるような、
出来事が最近起きたのも一つあるからね。

今はそれが起きたことによって、すごく幸せです。

 


"鬱陶しい人"のことは自分の中で「すごく酷すぎた男だった」と笑い話になった。

今思い出しただけで怒りが湧いてくるが。


しかしまだ最寄り駅に降りると、
稀に"鬱陶しい人"が棒立ちで立っていたり、後ろをついてくる時がある。

少し怖く思ったが、
この前睨みつけたことが効いたのか、しばらく見かけない。
てか、もうこの先一生見かけたくない。

 


やっと、忘れられる。

忘れる前に少しここでぶつけたかった。

そういう活動をしている以上、こうやって遺す癖が直らない。

 


"在った記憶"を"抹消"したいがために。

 


それが「在りし記憶の抹消事」だった。